男のパパ活 ラグビーだけは頑張れた理由
そういえば、おれは小学校4年でラグビースクールに入ったが、喧嘩ばっかりしていてコーチや監督、自分の親を含めた父兄の皆さんに多大な迷惑をかけまくるくせにけろっとしているような問題児だった。
違う小学校から来ているヤツが、おれのことをウザがって、「あんなヤツどうせやめさせられるから」とひそひそやってるのを聞いた時、普段なら飛びかかってボコボコにするのに、何故かその時に限って、聞こえていないフリをした。
あの時、明らかに潮目が変わった。
おれは暴れなくなった。やめさせられてたまるかと思うようになり、あいつらの思う壺にだけは絶対ならねえ!と心に決めた。
どうせ奥村は、、、。
この手の物言いにおれが敏感になった最初の出来事がそれだった。その後も同じようなことはうんざりするほどあったけれど、ラグビー絡みの場所や人を相手に暴れたりぶっ飛ばしたりするのは絶対しなかった。
それをやるのは、自分で墓穴を掘るのと同じだとわかっていたから。
父ちゃんは酒飲みで女癖が悪く、しょっちゅうおかんと喧嘩していた。幸い3兄弟の真ん中だったおれは、兄貴がいてくれたおかげで何かと得をした。ちょっと離れたところに住んでる爺ちゃんのところに避難したり、スクール仲間ん宅に泊めてもらったりしながら、難を逃れ続けてきた。
中学に入る頃にはこれも幸い、体のデカさと性格の荒さが効いてきて、チームメイトだけじゃなく父系連中からも「奥村は凄い」と言ってもらえるようになっていた。おれは子供心に、こんなおれでも凄いと言ってもらえるたったひとつのものに必死にしがみついた。
尊敬する先輩に、誰よりも練習しろと言われ、それだけは素直に聞き入れ練習した。誰よりも練習しないと、凄いと言ってもらえなくなるかもしれないと、怯えていたのだ。